ダイハツ工業 軽3輪トラック「ミゼット」
2008年 12月 14日
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズが人気復活に火を付けた乗り物が、
ダイハツ工業の軽3輪トラック「ミゼット」だ。
1957年に発売された「ミゼット」は50歳を超え、稼働台数はわずかになったが、
一部の自動車ミュージアムや昭和のテーマパークではその雄姿に再会できる。
NPO法人日本自動車殿堂は2007年の日本自動車殿堂・歴史車としてミゼットを選んだ。
「日本の戦後復興の庶民の移動・輸送手段として愛され、
社会現象とまでいわれたブームを巻き起こし(中略)
その後の軽自動車需要の道を拓いた歴史に残る名車である」というのが理由だ。
日本の乗用車市場の創成期を支えた名車だ。
生産が打ち切られた72年までに約32万台が製造され、文字通り日本中を駆けめぐった。
年齢・性別に関係なく、当時を知る多くの人がミゼットに懐かしみを覚えるのは、
戦後の経済復興期にあった日本の津々浦々を走り、
潤滑油のような役目を果たしてくれたからだろう。
初代モデルはバイク風ハンドルの1人乗り。2年ほど後に2代目の「MP型」が登場。
丸ハンドルで2人乗りの2代目はその扱いやすさや低維持費が人気を呼んで、
小商店が競って買い求めた。
改良はさらに続き、運転席にドアがついたり、排気量や最大積載量もアップ。
でも、基本設計は変わらず。
「街のヘリコプター」というキャッチフレーズはその本質を見事に言い当てていた。
昔ながらの商店街を再生した「昭和の町」(大分県豊後高田市)は
ミゼットをレンタルして実際に運転させてもらえる珍しい施設だ。
2007年秋からは修理が続いていてレンタルを受け付けていないが、
同じダイハツのレトロカー「コンソルテ」「キャロル」はレンタルできる。
以前は目を輝かせてハンドルを握る姿が見られただけに、レンタル再開が待ち望まれる。
1907年創業のダイハツ工業は2007年、創立100周年を迎えた。
記念の社史『道を拓く ダイハツ工業100年史』にも
「ミゼット」はしっかりとその足跡を刻んでいる。
同年オープンした、本社隣の史料館「ヒューモビリティワールド」でも
ミゼットが3階で来館者を迎える。
同館サイトはダイハツの歴史を彩ってきた歴代車を年代順に紹介している。
3輪トラック「SKC 7型」(57年)の雄姿も見える。
懐かしい名車のサムネイル画像を見ると、つい片っ端からクリックしてしまう。
ミゼットは62年モデルのMP5が堂々たる姿を披露している。
ミゼットは俳優・大村崑さんを一躍有名にした車でもある。
大村さんは後の「オロナミンC」より早く、「ミゼットの崑」として人気者になった。
ミゼットは、田舎をイメージした大村さん発案のテーマパーク
「崑の村」(兵庫県篠山市)にもあり、撮影用に貸し出しもしている。
58~60年に日曜日の夕方に放映されたコメディー番組「やりくりアパート」の
最後は決まってミゼットのCMが締めくくった。
まだ駆け出しだった大村さんと佐々十郎さんのコンビがミゼットの名を連呼する
シンプルな掛け合い風のショートコントは大受けし、
大村さんの決め文句「言うたった」は流行語に。
CMはこんな調子だった。
佐々「世界の車」
大村「ミゼット!」
佐々「日本の車」
大村「ミゼット!」
佐々「お父さんの車」
大村「ミゼット!」
佐々「ミゼットばっかり言いやがって」
大村「ミゼット! (こっそり)言うたった」
日本で初めて本格的なマーケティングリサーチ(市場調査)を実施して、
消費者ニーズをつかんだ上で開発された車といわれる。
荷物を満載していてオートバイが交差点を曲がりきれず、しょっちゅう転倒していたころ、
転倒しにくく小回りの利く足を求める零細企業や個人商店の潜在的なニーズをすくい上げた。
小道、路地に入り込める小ぶりな造りは御用聞きや集配にうってつけだった。
事前の市場調査が実り、自動車のパワーとバイクの機動性、
リヤカーの使い勝手を兼ね備えたミゼットは売れに売れた。
農村部でもミゼットはあぜ道や農道を駆け回った。
ダイハツは96年、ミゼットを4輪車で復活させ「ミゼットII」を発売した。
本社工場に手仕事ラインの「ミゼット工房」を設けての復活だった。
溶接ロボットやコンベヤーを使わず、熟練工からの技術伝承の場とした。
「II」は2001年に生産を終了したが、その手技は2人乗りオープンカー
「コペン」に受け継がれている
「II」は当初、1人乗り商用車として売り出した。ハンドルを運転席中央に置き、
左右どちら側でも乗り降りできる「左右対称」のデザインは画期的だった。
スペアタイヤをボンネットに取り付け、ヘッドランプと前輪を両わきに張り出した、
顔のあるデザインも愛嬌たっぷりだった。
後に2人乗りのオートマチック(AT)車、車両後部に荷室を付けたタイプが追加発売された。
既に製造中止となっているが、独特の愛くるしい姿に魅せられたファンは多く、
愛好者のファンサイト「ミゼットII友の会」もある。
ミゼットの実物を手に入れるのは難しいし、手入れにも知識がいる。
本物は無理でも、ミニカーや写真なら手は掛からない。
タカラトミーはミニカー「トミカ」の専門店「トミカショップ」オリジナル商品
「ダイハツミゼット」(525円)を販売している。
ミゼットの熱烈なファンである写真家の木村信之さんは
写真集『ミゼット物語』(高原書店刊、98年)を出版している。
実物を間近で見たければ、先に挙げたダイハツの史料館「ヒューモビリティワールド」や
トヨタ博物館に行ってみるといい。
日本自動車博物館(石川県小松市)、福山自動車時計博物館(広島県福山市)などにも
ミゼットが収蔵されている。
50年の時を超えて、ミゼットは変わらぬ人なつっこい顔で迎えてくれる。
ダイハツ工業の軽3輪トラック「ミゼット」だ。
1957年に発売された「ミゼット」は50歳を超え、稼働台数はわずかになったが、
一部の自動車ミュージアムや昭和のテーマパークではその雄姿に再会できる。
NPO法人日本自動車殿堂は2007年の日本自動車殿堂・歴史車としてミゼットを選んだ。
「日本の戦後復興の庶民の移動・輸送手段として愛され、
社会現象とまでいわれたブームを巻き起こし(中略)
その後の軽自動車需要の道を拓いた歴史に残る名車である」というのが理由だ。
日本の乗用車市場の創成期を支えた名車だ。
生産が打ち切られた72年までに約32万台が製造され、文字通り日本中を駆けめぐった。
年齢・性別に関係なく、当時を知る多くの人がミゼットに懐かしみを覚えるのは、
戦後の経済復興期にあった日本の津々浦々を走り、
潤滑油のような役目を果たしてくれたからだろう。
初代モデルはバイク風ハンドルの1人乗り。2年ほど後に2代目の「MP型」が登場。
丸ハンドルで2人乗りの2代目はその扱いやすさや低維持費が人気を呼んで、
小商店が競って買い求めた。
改良はさらに続き、運転席にドアがついたり、排気量や最大積載量もアップ。
でも、基本設計は変わらず。
「街のヘリコプター」というキャッチフレーズはその本質を見事に言い当てていた。
昔ながらの商店街を再生した「昭和の町」(大分県豊後高田市)は
ミゼットをレンタルして実際に運転させてもらえる珍しい施設だ。
2007年秋からは修理が続いていてレンタルを受け付けていないが、
同じダイハツのレトロカー「コンソルテ」「キャロル」はレンタルできる。
以前は目を輝かせてハンドルを握る姿が見られただけに、レンタル再開が待ち望まれる。
1907年創業のダイハツ工業は2007年、創立100周年を迎えた。
記念の社史『道を拓く ダイハツ工業100年史』にも
「ミゼット」はしっかりとその足跡を刻んでいる。
同年オープンした、本社隣の史料館「ヒューモビリティワールド」でも
ミゼットが3階で来館者を迎える。
同館サイトはダイハツの歴史を彩ってきた歴代車を年代順に紹介している。
3輪トラック「SKC 7型」(57年)の雄姿も見える。
懐かしい名車のサムネイル画像を見ると、つい片っ端からクリックしてしまう。
ミゼットは62年モデルのMP5が堂々たる姿を披露している。
ミゼットは俳優・大村崑さんを一躍有名にした車でもある。
大村さんは後の「オロナミンC」より早く、「ミゼットの崑」として人気者になった。
ミゼットは、田舎をイメージした大村さん発案のテーマパーク
「崑の村」(兵庫県篠山市)にもあり、撮影用に貸し出しもしている。
58~60年に日曜日の夕方に放映されたコメディー番組「やりくりアパート」の
最後は決まってミゼットのCMが締めくくった。
まだ駆け出しだった大村さんと佐々十郎さんのコンビがミゼットの名を連呼する
シンプルな掛け合い風のショートコントは大受けし、
大村さんの決め文句「言うたった」は流行語に。
CMはこんな調子だった。
佐々「世界の車」
大村「ミゼット!」
佐々「日本の車」
大村「ミゼット!」
佐々「お父さんの車」
大村「ミゼット!」
佐々「ミゼットばっかり言いやがって」
大村「ミゼット! (こっそり)言うたった」
日本で初めて本格的なマーケティングリサーチ(市場調査)を実施して、
消費者ニーズをつかんだ上で開発された車といわれる。
荷物を満載していてオートバイが交差点を曲がりきれず、しょっちゅう転倒していたころ、
転倒しにくく小回りの利く足を求める零細企業や個人商店の潜在的なニーズをすくい上げた。
小道、路地に入り込める小ぶりな造りは御用聞きや集配にうってつけだった。
事前の市場調査が実り、自動車のパワーとバイクの機動性、
リヤカーの使い勝手を兼ね備えたミゼットは売れに売れた。
農村部でもミゼットはあぜ道や農道を駆け回った。
ダイハツは96年、ミゼットを4輪車で復活させ「ミゼットII」を発売した。
本社工場に手仕事ラインの「ミゼット工房」を設けての復活だった。
溶接ロボットやコンベヤーを使わず、熟練工からの技術伝承の場とした。
「II」は2001年に生産を終了したが、その手技は2人乗りオープンカー
「コペン」に受け継がれている
「II」は当初、1人乗り商用車として売り出した。ハンドルを運転席中央に置き、
左右どちら側でも乗り降りできる「左右対称」のデザインは画期的だった。
スペアタイヤをボンネットに取り付け、ヘッドランプと前輪を両わきに張り出した、
顔のあるデザインも愛嬌たっぷりだった。
後に2人乗りのオートマチック(AT)車、車両後部に荷室を付けたタイプが追加発売された。
既に製造中止となっているが、独特の愛くるしい姿に魅せられたファンは多く、
愛好者のファンサイト「ミゼットII友の会」もある。
ミゼットの実物を手に入れるのは難しいし、手入れにも知識がいる。
本物は無理でも、ミニカーや写真なら手は掛からない。
タカラトミーはミニカー「トミカ」の専門店「トミカショップ」オリジナル商品
「ダイハツミゼット」(525円)を販売している。
ミゼットの熱烈なファンである写真家の木村信之さんは
写真集『ミゼット物語』(高原書店刊、98年)を出版している。
実物を間近で見たければ、先に挙げたダイハツの史料館「ヒューモビリティワールド」や
トヨタ博物館に行ってみるといい。
日本自動車博物館(石川県小松市)、福山自動車時計博物館(広島県福山市)などにも
ミゼットが収蔵されている。
50年の時を超えて、ミゼットは変わらぬ人なつっこい顔で迎えてくれる。
by gyutankozou
| 2008-12-14 00:45
| ひとり言